崇高で神聖なケツ毛の剃毛が繋ぐ愛と勇気と友情の物語

昨日は『ケツ毛同好会』の定例会の日だった。私は秋葉原駅総武線に乗り換え、急ぎ錦糸町に向かった。夜八時、時刻通りにつくとすでに剛毛エンジニアとして有名な『田中先輩』がいた。あいかわらず時間には正確な人だと思いながら隣の席に着いた。

今回の議題は『ケツ毛が汚いと言われるが本当はキレイだということを日本国民に知ってもらうにはどうすればいいのか』だ。今回は有意義な議論になる予感しかしない。

多く人に誤解されているが、ケツ毛は汚くなんかない。人間の身体から生えているものに汚い箇所なんてないことを知ってもらうのが私の人生の使命だと認識している。そもそも生物学上の必要性があって生えているのであって邪魔者扱いするのはお門違いである。ケラチンに対しても失礼だ。

しかし、珍虎神拳伝承者であるホルスタインおじさん曰く、ケツ毛の脱毛には一定のメリットがあるとのこと。なるほど。

直腸がんの手術をされる人に見てほしい【ケツ毛脱毛のススメ】【がん体験談06】 - 教えて!ホルスタインおじさん!

人工知能や仮想通貨が話題の現在、若者を中心にパイパン文化が浸透しており、ブラジリアンワックスで脱毛したり、剃る・抜く等の行為が増えているらしい。なんとも嘆かわしいことだ。ケツ毛を上手に処理する方法の記事も数えるときりがない。※松本氏は脱毛・除毛クリームを推奨している。

ケツ毛を処理するオススメの方法【剛毛男子必見】 - ナイスミドルになりたい~松本孝行のブログ~

ケツ毛の美醜ではなく存在理由(レゾンデートル)を証明することが大切ではないかという方向になった。老害のように若者の文化を簡単に否定するのはよくない。佐藤会長の同意のもと今回は実際にオシリのパイパンを体験してみようではないかと一同の意見は一致した。

私は私の愛情を受けとめてくれる人を見まわしたが、その答えは隣に座っている田中先輩しかいないことを理解していた。私が目線を彼に向けると、彼も待っていましたといわんばかりに目線を合わしてくれ、(やれやれ、仕方ないな)といったふうにゆっくり立ち上がった。言葉を伝えることもなく理解してくれたことを嬉しく思った。

親友である田中先輩に机の上で四つん這いになってもらった。彼は恥ずかしげもなく、あにゃるを披露してくれる漢の中の漢だ。十年来の同士であるが、尊敬の眼差しで彼のあにゃるを見ている。

いつ見てもキレイだ…。惚れ惚れする。地上に舞い降りた天使の笑顔ではないかと錯覚しそうになってしまった。まだまだ修行が足りていないと思いながら、私は彼のケツ毛を持参した剃刀(カミソリ)で剃毛することにした。

彼のケツ毛を剃る前に二礼二拍一礼。試合前に集中をし直す。改めて彼のオシリを見つめた。田中先輩のオシリとケツ毛は勤勉で努力家の証であり、シワの一本一本がこれまで何十年間も生きていた証拠でもある。妻と娘の三人家族を養ってきた漢の毛を私の五感を使い堪能する。

処女のように敏感なデリケート部分でもあるので、そのまま剃刀を使うと万華鏡のようなあにゃるが傷ついてしまうので、はじめての彼女と初夜を共にするように丁寧に扱わなければならない。

まずはシェービングジェルを全面にならす。そして慎重に剃刀を這わせていく。ショリショリ…。ひとたび、手が滑れば大惨事。一ミリの油断も許されない状況だが、彼はキリッとした目で全幅の信頼を寄せてくれているのがわかる。すべてが剃り終わった後の彼のあにゃるは生まれたての赤ん坊のようにキレイになった。

大興奮! ケツ毛クッキング! - nagitaosioのブログ

今回はオーソドックスな四つん這いスタイル(欧米式)で剃ったが、いつもはアジア人に適しているジャンピングスタイル(パイルドライバー式)を好む。佐藤会長も五反田で遊ぶ際にフィニッシュ・ホールドとして多用するスタイルだ。このスタイルなら一切目をそらさず、見つめ合いながら剃ることができるのが強み。これは脱毛ではなく、愛情を確認する行為と言いたい。

このあと『ケツ毛同好会』は解散したが、私とパイパンアーティスト田中先輩(いま命名した)は坐・和民 錦糸町南口駅前店で二次会をすることにした。食べるのはもちろん『ぼんじり』。

「ケツ毛だけに決別(ケツベツ)した」と彼のギャグを聞けたことで私の今週の苦労は全て報われた気分になったことを追記しておく。(その言葉が聞きたかった…)

中野駅に着いたら思い出し笑いをしてしまった。周囲に人がいるのに突然笑うのも不気味なものだが、今日の田中先輩のギャグは切れ味抜群。勘弁してほしい。

「これまで日本人はケツ毛と上手に付き合ってきたのに、なぜ今ケツ毛を不要のものとするのか…」と疑問に思いながらフェミマでカフェラテを買って、いまベルギーとブラジルの一戦を見ている。試合よりもネイマールのケツ毛が気になる。

最後になるが、ケツ毛も己の身体の一部であり個性である。自分の身体の一部を否定することは産んでくれた親を否定することになる。太陽のような父と、月のように照らすような母。みんなアダムとイヴから生まれた存在なんだぜ?